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英雄の伽《とぎ》 第二章 夜半に切れる蜘蛛の糸

 
 神話の終わり オバマウェザー
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ここは、本国よりも寒い。

エイルは琥珀色の目を淀ませ、空咳をこぼしながら、
夜霧に煙(けぶ)った坂の街道を歩いていく。

黒い雲に埋もれた満月は、切れかけの電球のように弱々しく明滅しており
唯一の光源としては、まったくもって頼りない。
前屈みに進んでいたエイルは
ようやく坂を登りきり、深々と白い息をついて顔をあげた。
「……いつ見ても、良いな。此処は」

声音よりも吐息の勝った囁きは、突然響いた鐘の轟音に掻き消された。

眼下にひろがる、赤と黒。
山肌の黒、空の黒が折り重なった漆黒の底に、
マグマのような赤い街灯りが溜まっている。
街を囲い、空に届きそうなほどに聳(そび)えた山肌には、
赤いふもとから山の中腹にかけて、
糸のような山しるべの光が一本、這いあがっていた。

空から降りてくる、カラスの声と、墨色の羽々。
視界のなかでちらつき、ふいに鼻先をかすめた一片を手ではらって、
エイルはひどく冷めて呟く。

「……天国みたいだ」

警鐘が鳴り響いている。
街へと下る街道は、血だまりに俯せる死体で埋め尽くされている。
むせかえるような、鉄の臭い。
どの死体の傍にもナイフの鞘や、血糊にまみれた剣が落ちており、
エイルと同じ緑の軍服を着た死体はひとつもない。
ぼろぼろの黄ばんだローブを着た、若い女子供の死体しか無かった。

「───どの辺が、天国なんですか?」

不意に、艶(あで)やかな声が響く。
エイルの前方。死体の道の中から、ふらりと人影がたちあがる。
燃えるような街の赤に映える、踝(くるぶし)丈の黒いロングコート。
目深にかぶった制帽をとり、ショートの黒髪を軽くゆらして、女は微苦笑する。
袖口からのぞく女の両手は、べっとりと血に濡れていた。
小首をかしげた女を、見据えるエイル。
やがて彼は、伏せがちに顔をそむけて呟いた。


「死人しか居ない」


それも生前はおそらく、───罪も無き。




英雄の伽《とぎ》 第二章 一日目 ───夜半に切れる蜘蛛の糸




小国ヴァルシスの心臓部。別名、シャイエの墓。
100年前、建国者である英雄シャイエがここで処刑されて以来、
長きにわたり「王の不在」を保ち続けてきた、ヴァルシスの首都である。
今回の紛争で、敵国であるアリオンが最も侵攻に手こずった区域であり、
イヴを含め、ヴァルシスの風雲児たちが最後に集い、倒れた、落城の地でもある。

警鐘が鳴り続いている。

誰も居ない大通りを、エイルは女と並んで歩いていく。
「独りで出歩かないほうがいい。ただの医者だろう、君は」
「軍医ですよ。残党狩りがあったので、後処理を」
女はポケットに突っ込んでいた紅い右手をぬき、エイルの袖口をきゅっと握った。
女の手首には、かすかに明滅する蒼のペンデュラム。
「不気味だな」
「……ですね」
女は、赤く照らされたあたりの廃墟を見回している。
エイルは、女が掴んだ方の腕を、目高にひきあげた。
「君がだよ。ロンド」
ロンドはきょとんと、エイルの袖にぶらさがっている自分の手を眺める。
きっかり、2秒間。
「……ッ!」
手を引き、ロンドは飛び退る。
エイルはどこか据わった目で、血のついた腕をおろした。

「誰だ?」

ロンドは、戸惑ったように自分の手首をおさえている。
エイルはゆっくりと、ロンドに歩みよる。
顔をそむけているロンドの顎をとらえ、正面にひねるエイル。
彼はついに、彼女の怯えた目を見据えた。

「誰を匿(かくま)ってる?」

ロンドは肩を強張らせたまま、エイルを睨み返した。
「誰も。ただの猫です」
「猫は袖を掴まない」
「くわえる口はありますよ。戦ばかりで、そんなことも忘れたんですか? 
 ウェリテリセ大尉」
エイルは、ロンドの手首に巻きついたペンデュラムをむしり取る。
透明な蒼石の中で、ちいさな光の点がひとつ、さまよっている。
エイルは眉間に深く皺を刻み、石をロンドの鼻先につきだした。
「殺せ」
揺れる石を追わず、ただエイルを凝視するロンド。
「猫なら殺せるだろ」
これ以上にないほど、黒瞳を見開いた後、
ロンドは、肩をおとしてうつむいた。
「……殺せますよ」
頤(おとがい)をあげ、
ロンドはペンデュラムごと、エイルの手を握りしめた。

「───何だって。」

血の気がうせるほど、強く。
おり重なった指の隙間から、燐光がこぼれた。
ふたりの間を分かつように、光が集まる。
それは、五体満足の子供のシルエットをかたどり、

「……───」

ロンドはかすかに、口をうごかした。
小さな、贖罪(しょくざい)の言葉だった。
人型の光がひび割れ、煌めく粒子が舞う。
光の砂を振り落とすように、ふるふると頭をふる幼い少年。
黄ばんだローブを着た彼は、ロンドを見上げ、不安げにつぶやく。
「もう、危なくない……?」
ロンドの袖に、手を伸ばそうとする少年。
ロンドは、少年を見下ろしている。
コートのポケットから抜かれた紅い右手には、細身の拳銃がにぎられている。
とても哀しそうに、ロンドは微笑んだ。

「危なくないよ」

左手で、少年の両目を覆う。
ロンドは少年の首筋に、銀の銃口をそっと押し当てた。






「ねえ、エイル」
紅い街灯。
廃墟に囲まれた大通りのさなかに横たわる、小さな子供の死体。
その傍に立ち尽くしている、死神のような格好の女は、力なく拳銃を取り落とす。
開いた背中の切り傷と、さらに真新しい首の銃痕から血を流す遺体を見下ろして、
ロンドは心底つらそうに、かすれた声を絞り出す。
「君は、……本当に変わったね」
エイルはロンドに背を向けたまま、虚空を見つめて呟く。

「慣れただけだ」
声こそ、淡泊な音だったが。
「お前も、同じだろ」
エイルの憂いげな目にはわずかに、たゆたう膜がともっていた。

靴音を響かせ、紅い闇に消えていくエイル。

ひとり取り残され
かくっと膝をついて、ロンドは涙をこぼした。
「慣れて、ないよ」
赤くなった少年のローブをたぐり、胸元に押しつけて、
ロンドは子供のように泣きしゃぐった。


「慣れたく、なかったよ……!」


遥か遠くの山肌に這っている、ひとすじの光。
山むこうにある、楽園と呼ばれた隣国アリオンへの道しるべとして、
建国者の英雄シャイエが作らせたそのしるべは、山なかばで途切れている。




楽園に届くことなく、途切れている。





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